深田クラブ著『日本200名山』の選定経緯と刊行について

 『日本二百名山』はクラブ創立10周年を記念して選定され、それを昭和62年(1987年)、『日本200名山』(昭文社)として刊行したものです。

 日本二百名山を選定した理由は二つあります。第一の理由は『日本百名山』の後記に、惜しくも栄光の百名山の選にもれた準百名山とも言うべき40数座の山々が記されています。深田久弥はそれをたいへん惜しんでいましたが、日本二百名山の選定によってそれらの山を救いました。第二の理由としては、クラプ創立以来10年、百名山完登者が続出し、これらの人々の次なる目標のためにさらに百座を加えることにしたわけです。その点、深田クラブの会則にも早くから「日本二百名山選定」を高く掲げてきました。

 選定に当っては、「日本二百名山選定委員会」をクラブ内に設置して慎重な審議をしました。まず、名山選定の基本的条件は、深田久弥氏の山の品格、山の歴史、山の個性の三条件をそのまま残し、それに若干の山の標高も加味しました。『日本百名山』の場合は1500m以上としていますが、日本二百名山の場合は標高の基準は大幅に緩和せざ得ませんでしたが、これらの点で『日本二百名山』は深田久弥の『日本百名山』の延長線上にあると言えます。

 具体的には深田久弥の『日本百名山』と日本山岳会で既に選定ずみの「日本三百名山」をベースとし、前者は無審査合格とし、残る百山に的をしぼり、全会員からアンケートを取り、その上位百番までを加えたものを「日本二百名山」の第一次案としました。委員会ではさらに一山、一山に厳重な再検討を加え、数山の入れ替えを行い、その過程で、「日本百名山」にも「日本三百名山」にもなかった荒沢岳が登場することになりました。この第二次案を広く世に問うため、当グラブの会報に発表しました。その後、大要において世の岳人の了解を得られたものとして、深田クラブ著『日本二百名山』の誕生となりました。

 なお、二百名山には百名山に負けず劣らずの名峰がそろっています。特に登山として見る限り、より困難な山が多くあります。登頂を急ぐあまりに遣難事故など起こさぬよう、また自然保護にも留意して登って欲しいものです。  
                                       
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1987年9月初版〜3刷の表紙 1992年4月4刷〜1996年7月7刷の表紙
昭文社刊 定価 1980円 昭文社刊 定価 2500円