山旅の記録
(シニア百035)

    大霧山  −奥武蔵の桃源郷を歩く
    日程:2020年3月23日 
      (掲載日:2026年1
月20日)


花桃が咲く里を歩く

庚申塔の背後に大霧山

桃源郷を一望する

大霧山の山頂にて

山頂からの展望

 *写真はクリックすると拡大します。 


 大霧山は東武鉄道が毎年行う外秩父七峰縦走ハイキングの主峰だ。縦走は官ノ倉山、笠山、堂平山、剣ヶ峰、大霧山、皇鈴山、登谷山の7つのピークを12時間以内に踏破するというもので、私たちが最後に歩いたのは‘16年4月21日だった。
 大霧山の魅力はなんといっても大展望にある。女峰山、男体山、太郎山、奥白根山、袈裟丸山、赤城山、上州武尊山、谷川岳、浅間山、榛名山、雲取山、両神山、白石山(和名倉山)、熊倉山、武甲山のほか、ホンダの寄居工場や秩父高原牧場、皇鈴山、登谷山、釜伏山など外秩父の山々も一望することができる。
 橋場バス停に着いたのは9時49分。歩き始めたのは9時58分だった。槻川を渡り,広い舗装道路をゆるやかに登っていく。10分ほどで分岐に出た。山道に入り、スミレの咲き乱れる登山道を歩く。ユズ畑を抜けると、ふたたび舗装道路に出た。県道361号(三沢坂本線)だ。左の庚申塔に挨拶をし、天満天神宮を通過する。なかを覗いていた家人によれば300円を志納すると縄をいただけるとのこと。分岐を道標に従い左に入る。民家の先に石仏があった。馬頭観世音だった。かつてはよく歩かれた峠道だということだろう。
 ふたたび車道に合流すると一投足で粥仁田峠に着いた。全国に伝承が残されているが、ここにもダイダラボッチ(ダイダラ坊)の巨人伝説がある。大釜で粥を煮たところであり、伏せた釜が釜伏山になったなど巨人伝説にちなむ地名が残されている。かつて登った飯野山(讃岐富士)では巨大な足跡があった。峠には粥仁田地蔵尊が赤い帽子と首巻をつけて立っていた。外秩父七峰の縦走路に入る。道標には大霧山まで1.1kmとある。これは汗を絞られると覚悟した。冬枯れの疎林のなかを急登すると、木段道の分岐に出た。
 大霧山の頂上に立ったのは12時04分だった。先行者は山頂で正午のチャイムを聞いたようなので4分の遅れということか。三等三角点標石に挨拶を済ませると、ベンチにへたり込んだ。天候が次第に回復し、大展望が広がっている。雪を纏った浅間山と蓼科山が印象的だ。右手には日光連山が広がっている。風を避けて奥に進み、シートを広げた。
 当初の案では縦走路を先に進み、旧定峰峠から経塚バス停に下り、県道を歩いて橋場バス停に戻るというものだったが、経塚⇒橋場の50分の歩行が辛いので往復に変えてもらった。おかげで2時間20分のコースタイムのところ1時間31分で戻ることができ、短縮時間で「大内沢の花桃の里」に立ち寄ることができた。花桃の里は、地元の女性の話では50年前に5千本を植えたそうだ。展望台に上がると、山一面に濃いピンクの花桃が広がり、山桜と合せて優美な風景を見せている。まさに桃源郷だった。外秩父は数多く訪れているが「花桃の里」は聞いたことがなかった。いいお土産になった。                               

                                          (記 山本 進吾)